木曜日, 7月 07, 2005

七夕

七夕(たなばた)は、各地でさまざまなお祭りや行事がおこなわれる夏の風物詩。
桃の節句や端午の節句と並ぶ五節句のひとつだと知っていましたか?

七夕の由来は?

七夕といえば、竹笹の枝に色とりどりに飾られる、願いをこめた短冊が思い浮かびます。また、牽牛と織女が年に一度逢瀬をはたす物語を誰もが知っているでしょう。7月7日(旧暦も含む)には、日本の各地でさまざまなお祭りや行事がおこなわれます。

天の川をはさんできらめく牽牛星・織女星の物語。いまから2000年前にはすでに中国で成立していた伝説だといわれています。機織りに励んだ天上の織女にちなんで、星に技芸の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という宮中行事が生まれ、日本へと伝わりました。

こうして7月7日の行事である七夕は、日本では奈良時代に宮中の行事としてとりおこなわれるようになりました。もっとも、乞巧奠の伝来以前の日本にも、7月7日にけがれをはらう行事があったといわれています。古事記に記された、天から降り立つ神のために美しい衣を織る棚機女(たなばたつめ)の伝説も、中国の織女の伝説と重なるものがあったはずです。

江戸時代になると、七夕の行事は民間にも広がります。笹竹に短冊をかざるスタイルもこのころ定着したようです。日本古来の伝承や風習と、中国の行事がうまく混ぜあわさったからこそ、七夕は今でも日本の各地にさまざまな形で、大切に伝えられているのかもしれませんね。

5 件のコメント:

Mari さんのコメント...

せっかくの七夕なのに一緒に願い事が出来る人がいなくて残念でした。

いつもひとりぼっちの人生かな~

Hamel さんのコメント...

私も、「いっっしょに願い事」が出来るような気の利いた人物はおりませぬ。。。。。

「ひとりぼっち」...人間は誰しも考えようによっては「ひとりぼっち」なのかもしれません。「ひとりで生まれ(双子や五つ子は別のようですが時間差は確実にあります)」「ひとりで最後の審判を受ける」事になる宿命を背負って生きているのかも知れませんね?

Mari さんのコメント...

「ひとりで最後の審判を受ける」事になる宿命と聞くと怖くなってしまいますね。

生きるのも死ぬのも大変ですね

永遠の安らげる場所はどこにあるのでしょうか。

Hamel さんのコメント...

永遠に安らげる場所...きっと最後の審判の後に訪れるところがそうだと、思いたい。

先日TVドラマで「海猿」というのをみました。
海上保安官の人命救助のお話ですが・・・
その中で「それでは、生きている”意味”がなくなる」。。。っていうセリフがありました。

そこでふと思ったのです。そもそも「生きている」ことにどんな意味があるのだろうって。
そして、生きると言うことに「意味」を求めるのはこの地球上で人類だけだろうって。

そう考えると人類は、地球上に存在していることを証明するために生きることへの意味を追求してきた。この地球も決して永遠に存在するわけではないのに.....
ちょっと、「滑稽」なお話ですね?!

Mari さんのコメント...

人間やその他生物も含め、生きてるのではなく生かされてる。

この「生かされてる」と言う言葉を始め目にした時、有難く命を授けてもらい感謝しなくてはいけないもののように素晴らしい意味かと、、、、、しかしこの「生かされてる」の意味は戦場に送られたように自分の意思とは別に無理やり「生かされてる」のであろうと思うこの頃。
永遠の愛や幸福を得る為には、この生きてる間の戦いに勝つしか方法はないのでしょうかね~