火曜日, 4月 26, 2005

春雷

今日は、朝のうちは快晴に近かったのに、昼近くになるとあたりはもう「真っ暗」になってしまって、そのうちに「雷雨」になってしまいました。まさしく「春雷」でした。

雷の発生原因には様々な説がありますが、最も有力な説としては......

雷が起こるか起こらないかはまず、氷の小さな粒ができるかできないかできまる。氷の粒ができない雲では雷は発生しない。それは雷が氷の粒の衝突で生じる電気だからです。

雷の電気が発生するメカニズムはちょっと難しく、長くなりそうなので、今は言わない.....(笑

土曜日, 4月 09, 2005

やっと、桜が咲き始めました。東京では先日開花宣言致しました。
この桜、ですが大抵は「染井吉野」という品種ですよね!?
染井吉野とは、サクラの一種で「大島桜」と「江戸彼岸」との雑種です。

日本の代表的な桜です。
【染井吉野の語源・由来】
染井吉野は、染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が、江戸時代末期に品種改良した園芸品種で、明治以降全国に広まりました。染井吉野は当初、奈良県山岳部の桜の名所『吉野山』にちなんで「吉野桜」と命名されていたのです。しかし、吉野山の桜はヤマザクラの類で、「吉野桜」の名は誤解を招くとして、明治33年(1900年)、上野公園の桜を調査した藤野寄命博士が、「染井吉野(ソメイヨシノ)」と命名し『日本園芸雑誌』に発表しました。


桜は、バラ科サクラ属落葉高木または低木。一般にはサクラ亜属に属するもので日本の国花。

【桜の語源・由来】
桜の語源は、動詞「咲く(さく)」に接尾語「ら」が付き、名詞になったものです。桜は奈良時代から栽植されましたが、当時は田の神が来臨する花として、「信仰」「占い」のために植えられることが多かったのです。
そのため、桜の「さ」は耕作を意味する古語「さ」、もしくは「神霊」を意味する「さ」を表し、桜の「くら」は「座」を表すといった説もありますが、あまり有力とはされていません。
古代に「桜」と呼ばれていたのは、現在の山桜のことであったと言われているのです。

大きい&デカイ

昔から普通は何でもない事柄が妙に気になってしまう性格です。
私が小さい頃は確か?大きさなどを表現するのに「大きい」と表現していたことが多かったように思われます。
でも最近はなぜか「デカイ」という表現を耳にするのです。

どの辺が気になるかというと、「大きい」は漢字。「デカイ」は大抵の場合「カタカナ」
つまりこの「デカイ」という表現は日本語なのかという事です。

あと気になって仕方がないのが、この「デカイ」という言葉を女性が頻繁に使用するようになってしまったことです。
言葉の響きがどうしても私には女性には向いていないように思えてなりません。

デカイ...この言葉が日本語なのか外来語なのか?
永遠の謎のよう。。。。。。。

火曜日, 4月 05, 2005

太陽

太陽は地球に近い場所にある恒星  
地球をいつも暖かく照らしてくれる太陽は太陽系の中心にあり、恒星の1つです。直径約140万キロメートル、地球の約109倍もある大きな星は、地球と月の軌道がすっぽり入る大きさです。地球からは1億5000万キロメートルはなれた距離にあり、ほかの恒星よりも地球の近くにあるため、明るく、大きな光の玉のように見えます。太陽は水素とヘリウムガスからできていて、表面の温度が約6000度、重さは地球の33万倍、体積は130万倍ほどの大きな球です。

太陽はいくつもの層で形成される
太陽は北極星や、織姫星と同じ恒星ですが、地球から比較的近い場所にあるため、夜空の星のようでなく、大きな光の球に見えます。太陽は、その中心から核、ふく射層(放射層)、対流層、光球、彩層、コロナといういくつもの層からできています。コロナとは光球のまわりに広がるうすい高温のガス層のことです。太陽のエネルギーは中心核で核融合反応によってつくられ、対流層を通して、表面に送られます。

太陽がつくり出す莫大なエネルギー
 太陽は燃えながらすごい量のエネルギーを出しています。太陽は熱核融合(ねつかくゆうごう)反応という原子炉の中の火に似た燃え方をします。それは、中心核で水素がヘリウムに変わるときに起こすエネルギーのことで、わずか1グラムの水素は石炭20トンを燃やすのと同じエネルギーに当たります。このエネルギーが放射し、ふく射層に運ばれ、その外側にある対流層によって光球に運ばれます。さらにエネルギーは光球の放射によって、外の空間に出ていくのです。太陽はこの熱核融合反応をあと50億年以上続けるだろうといわれています。

太陽の自転にともない東から西へ移動する黒点
 太陽の表面を望遠鏡で観察すると、黒点(こくてん)と呼ばれる黒い点があることがわかります。この黒点は、太陽が自転しているため東から西へ移動します。また、黒点が光球の温度は6000度ですが、黒点の部分は4000度です。ここには強い磁石がはたらいていて、まわりの部分よりも温度が1000~2000度低くなっているのです。その温度差のために黒点は黒く見えるのです。黒点のほとんどは太陽の東西方向に集まり、赤道を中心に南北35度までの範囲に多く見られます。

金曜日, 4月 01, 2005

April Fool's Day

エイプリルフール(April Fool's Day)とは、毎年4月1日には人をからかうような、害のない嘘をついてもよい、という風習のことである。また、この風習から4月1日自体を指すこともある。
この日には、世界中で新聞がジョーク記事を掲載したり、TVニュースでジョークニュースを報道したり、実用性のない冗談RFCが公開されたり、ウェブサイトが大がかりなジョークページを公開したりといったことが行われる。
エイプリルフールは、日本語では四月バカ、漢語的表現では万愚節、フランス語ではポワソン・ダブリル(Poisson d’avril)と呼ばれる。

エイプリル・フールの起源
古代の起源
古代の多くの祝祭には、愚行とだましの祝典が含まれていた。ローマの冬至祭であるサトゥルナーリア祭(クリスマスの項参照)は、その中で最も重要であった。これは踊り、酒、お祭り騒ぎがあった。人々は贈り物を交換し、奴隷が主人を支配しているかのようなふりをすることが許され、偽王サトゥルナーリキウス・プリンケプス(Saturnalicius princeps またの名を「無秩序の君主」)がその日君臨した。紀元4世紀までに、サトゥルナーリアは1月1日元日祝祭に姿を変え、その慣例の多くはクリスマスの行事に取り込まれた。
3月下旬にローマ人は大地母神キュベレーの息子アッティスの復活を、ヒラーリア祭(Hilaria)と同時に祝った。このときは祝賀と仮装が行なわれた。
遠く離れたインドでは、色の祭として知られるホリー祭があり、この期間には路上の祝祭参加者たちがお互いに色粉を掛け合い、頭の先からつま先までだれもが派手な色で覆われてしまう。この祝日はヒンドゥー暦のパルグナの月の満月の日に開かれた(これは通常2月末か3月のはじめになる)。
北欧の民俗学研究者は、エイプリル・フールと、ケルトのユーモアの神ルードを祝う祭との間に類似があると指摘している。もう一つの説では、ドルイド位階の人々がふざけてつつき合った日にこの風習の起源がある、という。

中世の起源
中世のあいだ、フェストゥス・ファトゥオールム(Festus Fatuorum=愚者たちの祝宴)がサトゥルナーリアから発展した。この日、特にフランスでは、祝祭参加者は偽法王を選出し、教会儀式をパロディー化した。もちろん、教会はこの休日をやめさせようと尽力したが、16世紀までなくならなかった。愚者の祝宴が弾圧された後、お祭り好きな人たちは謝肉祭と告解火曜日(謝肉祭最終日)に本領を発揮した。 また、その日の象徴的な守護聖人として、中世には「愚者」が扱われた。愚者は、街角や宮廷でさまざまな技芸を見せ、後期中世ヨーロッパにおいて目立つ存在となった。愚者たちの独特な衣装は今もよく知られている。色とりどりの外衣、角付き帽子、王の笏、道化棒である。
神話的起源
聖書の歴史の中に、エイプリル・フールの日の起源となる話が二つある。一つ目の物語は、洪水が引いてしまう前に方舟から鳩を放ったノアの失敗がこの日の由来だというものだ。2つ目の物語は、イエスがピラト総督からヘロデ王のもとに送られ、また戻ってきた日を記念するというものである。「人をピラト総督からヘロデ王のもとに送る」というフレーズは、だれかに無駄足を踏ませること(「愚者の使い」)を意味する古い用語だ。
ギリシア神話の死の王プルートーンは、プロセルピナをさらってきて冥界でともに暮らそうとした。プロセルピナは、穀物と豊饒の女神ケレスの娘であった。プロセルピナは助けを求め、母親を大声で呼んだが、ケレスは娘の声のこだまを聞くことができただけで、捜索は無駄に終わった。ケレスの娘の捜索が無益に終わったことはケレアリアというローマの祝祭で祝われるようになったが、これは4月1日に一般化した「無駄足を踏ませること(愚者の使い)」の神話的起源である、と指摘されることもある。
英国民俗学では、エイプリル・フールの日を、ノッティンガムシャー州にあったという伝説の阿呆村・ゴタム村に関連づける。伝説によれば、国王が旅行したすべての道は公有地になることが13世紀のしきたりであった。ゴタム村民は主要道を失いたくないと考え、ジョン王が街を通ることを阻止するための嘘の話を広めた。国王は、その欺瞞を知ったとき、その行動について説明させるよう、使者を送った。しかし、ゴタム村に到着した使者は、魚を溺死させようとしたり、鳥を屋根無しのかごに閉じこめようとしたり、といった愚かな行為をしている狂人ばかりであることを知ったのである(もちろん、それらはすべて狂言だったのだけど)。国王はこの策略にだまされ、罰するにはあまりにも愚かな街である、と宣言した。それ以来ずっと、エイプリル・フールの日は、彼らの欺瞞を祝っている――というのである。
※gothamは、「バットマン」のゴッサム・シティの由来ともなっている

人類学的起源
人類学者は、エイプリル・フールが春分祭から生まれたと推測している。春分祭のような季節の変わり目となる伝統的祝祭は、社会秩序の一時的な逆転によって特徴づけられる。規則は停止される。古い世界が死に、新しい季節が生まれるという短い変化の瞬間には、いつものふるまいはもはや支配しないのである。騒々しいパーティーをすること、だまし、地位の上下逆転が許される。奴隷が主人を支配する。子供たちが親にいたずらをする。
エイプリル・フールと春の季節が結びついたのは、この習慣の起源を追求したもう一つの説によると、稚魚が孵化したばかりの4月初旬、フランスの小川や川で魚が大漁となることと関係している。これらの稚魚は、釣り針とルアーだけで簡単にだませるのだ。そのために、フランス人はこの魚を「ポワソン・ダヴリル(Poisson d'Avril)=4月の魚」と呼んだ。やがて、愚かな魚の大漁を祝う方法として、 4月1日に人をだますことが習慣となった、というのである。フランス人は、エイプリル・フールの日のいたずらの不運な犠牲者についても「ポワソン・ダヴリル」と呼ぶ。
逆説的に、エイプリル・フールのような無秩序と混乱の年次祝賀は、共通の価値を再確認する助けとなる。それは無害な方法で社会的敵意を発散する機会を与えるという安全弁の役目を果たしている。それに加えて、受容された行動規範の外側に人々に一時的に踏み出させる機会を与える。人々は、自発的に秩序状態に戻って社会の価値を再確認するか、それとも無秩序状態にとどまるかを選ぶことができる。必然的に、人々は秩序を選択する。これは自然界で同時に起こっているさらに大きな変化を反映している。季節の循環は再生に向かうか、それともそのまま変化せず、世界は冬の暗闇にとどまるのであろうか? 季節は常に変化するが、このような祭典を行なう心理に潜在するおそれとは、秩序が戻らないのではないか、そして混乱と混沌が永遠に支配するのではないか、というものである。

グレゴリウス暦との関係
エイプリル・フールの日の起源についての最も流布している理論は16世紀末のグレゴリウス暦改革と絡んでいる。人口に膾炙しているが、この理論は多くの問題をはらんでいる。
この説はこういうものだ。古いユリウス暦では、新年は春分の日のある3月末(今の3月25日)に始まった。それから約1週間(今の4月1日まで)が春分祭/新年祭となっていた。最終日は、贈り物を交換するならわしがあった。
1582年、グレゴリウス8世は古いユリウス暦にかわって新暦(グレゴリウス暦)を公布した。新暦は月の順序を変更し、元日は今の1月1日に祝われるようになった。そこで、早速、フランスのシャルル9世はこの新しい暦法を採用し、新年を今の1月1日に始まるものとして改める。だが、それは完全に国民に行き届かなかった。

「旧正月」の名残を惜しむ人たちは、古い習慣を残した。「新年祭最終日」だった4月1日に贈り物を交換したりする人もいた。逆に、新暦採用者の中には、その「伝統主義者」たちに対して、何か間違ったことを信じ込ませるようないたずらをしようとした。デタラメな贈り物をしたり、新年の宴会のまねをしてふざけた人たちもいたという。
例えば、いたずらで、内緒のまま紙の魚を背中にひっつける。このいたずらの犠牲者は「ポワソン・ダヴリル(4月の魚)」と呼ばれた。それがヨーロッパ各国に広まって「エイプリル・フールの日」となった……というのである。
暦変更説は、なぜ4月1日でなければならなかったのかという理由をうまく説明しているかもしれない。しかし、無秩序と混乱を祝う春祭りの思想のほうがずっと、古代からの起源を有していることは明らかだ。さらに、この日の慣例がカトリックのフランスから、ドイツやスコットランド、イングランドといったプロテスタント諸国に広まった過程は、この理論では説明できていない。これらの国家では18世紀にようやく暦の変更を行なったが、そのときすでに、エイプリル・フールの伝統はすでにヨーロッパじゅうに確立していたのである。結局、この理論を支持する決定的な証拠(つまり、16世紀・17世紀に書かれた直接的記述)は、仮に存在したとしても明確なものではない。暦の変更と4月1日のつながりは、史料の研究ではなく、近代的な推測に基づいているように思われる。であるから、この説は可能性にとどまっており、事実として取り扱うべきではない。
カッコー狩りスコットランド人はブリテン人よりも以前に、熱狂的にエイプリル・フールを取り入れたようである。それは「カッコー狩り(hunting the gowk)」(gowkはカッコー鳥、馬鹿者を意味する)。「カッコー狩り」に送られる、というのは、愚者の使いに送られる(無駄足を踏まされる)ということであった。犠牲者は、「絶対に笑うな、絶対に微笑むな、もう1マイル、カッコーを狩れ」と書いたメモを配達するように頼まれるが、その中身は知らない。このメモを受け取った人は、かわいそうな犠牲者をどこか別のところに派遣し、町中をかけずり回らせるのである。

「愚行は4月1日の深夜に始めてよいが、正午までには終わらせなければならない」という厳格な習慣がすべての国にあった。この規則を守り損ねたいたずら者は、自分自身がエイプリル・フールになってしまったのである。
仏教的にいえば、エイプリル・フールは「妄語・綺語」の日であって、よろしくないということになるけれども、あまり堅苦しく「禁止」とかいっても受け入れられないだろうから、ここは「悪意のある嘘、人を傷つける嘘、他人に不快感を与えようとするネガティブな嘘はやめましょうね」ということで今日の話は締めくくっておこう。要は、その嘘をつくことで自分自身の心を汚すような自虐行為はやめようねー、ということです。同じ嘘でも、人を喜ばせるほうがいいですね。