金曜日, 4月 01, 2005

April Fool's Day

エイプリルフール(April Fool's Day)とは、毎年4月1日には人をからかうような、害のない嘘をついてもよい、という風習のことである。また、この風習から4月1日自体を指すこともある。
この日には、世界中で新聞がジョーク記事を掲載したり、TVニュースでジョークニュースを報道したり、実用性のない冗談RFCが公開されたり、ウェブサイトが大がかりなジョークページを公開したりといったことが行われる。
エイプリルフールは、日本語では四月バカ、漢語的表現では万愚節、フランス語ではポワソン・ダブリル(Poisson d’avril)と呼ばれる。

エイプリル・フールの起源
古代の起源
古代の多くの祝祭には、愚行とだましの祝典が含まれていた。ローマの冬至祭であるサトゥルナーリア祭(クリスマスの項参照)は、その中で最も重要であった。これは踊り、酒、お祭り騒ぎがあった。人々は贈り物を交換し、奴隷が主人を支配しているかのようなふりをすることが許され、偽王サトゥルナーリキウス・プリンケプス(Saturnalicius princeps またの名を「無秩序の君主」)がその日君臨した。紀元4世紀までに、サトゥルナーリアは1月1日元日祝祭に姿を変え、その慣例の多くはクリスマスの行事に取り込まれた。
3月下旬にローマ人は大地母神キュベレーの息子アッティスの復活を、ヒラーリア祭(Hilaria)と同時に祝った。このときは祝賀と仮装が行なわれた。
遠く離れたインドでは、色の祭として知られるホリー祭があり、この期間には路上の祝祭参加者たちがお互いに色粉を掛け合い、頭の先からつま先までだれもが派手な色で覆われてしまう。この祝日はヒンドゥー暦のパルグナの月の満月の日に開かれた(これは通常2月末か3月のはじめになる)。
北欧の民俗学研究者は、エイプリル・フールと、ケルトのユーモアの神ルードを祝う祭との間に類似があると指摘している。もう一つの説では、ドルイド位階の人々がふざけてつつき合った日にこの風習の起源がある、という。

中世の起源
中世のあいだ、フェストゥス・ファトゥオールム(Festus Fatuorum=愚者たちの祝宴)がサトゥルナーリアから発展した。この日、特にフランスでは、祝祭参加者は偽法王を選出し、教会儀式をパロディー化した。もちろん、教会はこの休日をやめさせようと尽力したが、16世紀までなくならなかった。愚者の祝宴が弾圧された後、お祭り好きな人たちは謝肉祭と告解火曜日(謝肉祭最終日)に本領を発揮した。 また、その日の象徴的な守護聖人として、中世には「愚者」が扱われた。愚者は、街角や宮廷でさまざまな技芸を見せ、後期中世ヨーロッパにおいて目立つ存在となった。愚者たちの独特な衣装は今もよく知られている。色とりどりの外衣、角付き帽子、王の笏、道化棒である。
神話的起源
聖書の歴史の中に、エイプリル・フールの日の起源となる話が二つある。一つ目の物語は、洪水が引いてしまう前に方舟から鳩を放ったノアの失敗がこの日の由来だというものだ。2つ目の物語は、イエスがピラト総督からヘロデ王のもとに送られ、また戻ってきた日を記念するというものである。「人をピラト総督からヘロデ王のもとに送る」というフレーズは、だれかに無駄足を踏ませること(「愚者の使い」)を意味する古い用語だ。
ギリシア神話の死の王プルートーンは、プロセルピナをさらってきて冥界でともに暮らそうとした。プロセルピナは、穀物と豊饒の女神ケレスの娘であった。プロセルピナは助けを求め、母親を大声で呼んだが、ケレスは娘の声のこだまを聞くことができただけで、捜索は無駄に終わった。ケレスの娘の捜索が無益に終わったことはケレアリアというローマの祝祭で祝われるようになったが、これは4月1日に一般化した「無駄足を踏ませること(愚者の使い)」の神話的起源である、と指摘されることもある。
英国民俗学では、エイプリル・フールの日を、ノッティンガムシャー州にあったという伝説の阿呆村・ゴタム村に関連づける。伝説によれば、国王が旅行したすべての道は公有地になることが13世紀のしきたりであった。ゴタム村民は主要道を失いたくないと考え、ジョン王が街を通ることを阻止するための嘘の話を広めた。国王は、その欺瞞を知ったとき、その行動について説明させるよう、使者を送った。しかし、ゴタム村に到着した使者は、魚を溺死させようとしたり、鳥を屋根無しのかごに閉じこめようとしたり、といった愚かな行為をしている狂人ばかりであることを知ったのである(もちろん、それらはすべて狂言だったのだけど)。国王はこの策略にだまされ、罰するにはあまりにも愚かな街である、と宣言した。それ以来ずっと、エイプリル・フールの日は、彼らの欺瞞を祝っている――というのである。
※gothamは、「バットマン」のゴッサム・シティの由来ともなっている

人類学的起源
人類学者は、エイプリル・フールが春分祭から生まれたと推測している。春分祭のような季節の変わり目となる伝統的祝祭は、社会秩序の一時的な逆転によって特徴づけられる。規則は停止される。古い世界が死に、新しい季節が生まれるという短い変化の瞬間には、いつものふるまいはもはや支配しないのである。騒々しいパーティーをすること、だまし、地位の上下逆転が許される。奴隷が主人を支配する。子供たちが親にいたずらをする。
エイプリル・フールと春の季節が結びついたのは、この習慣の起源を追求したもう一つの説によると、稚魚が孵化したばかりの4月初旬、フランスの小川や川で魚が大漁となることと関係している。これらの稚魚は、釣り針とルアーだけで簡単にだませるのだ。そのために、フランス人はこの魚を「ポワソン・ダヴリル(Poisson d'Avril)=4月の魚」と呼んだ。やがて、愚かな魚の大漁を祝う方法として、 4月1日に人をだますことが習慣となった、というのである。フランス人は、エイプリル・フールの日のいたずらの不運な犠牲者についても「ポワソン・ダヴリル」と呼ぶ。
逆説的に、エイプリル・フールのような無秩序と混乱の年次祝賀は、共通の価値を再確認する助けとなる。それは無害な方法で社会的敵意を発散する機会を与えるという安全弁の役目を果たしている。それに加えて、受容された行動規範の外側に人々に一時的に踏み出させる機会を与える。人々は、自発的に秩序状態に戻って社会の価値を再確認するか、それとも無秩序状態にとどまるかを選ぶことができる。必然的に、人々は秩序を選択する。これは自然界で同時に起こっているさらに大きな変化を反映している。季節の循環は再生に向かうか、それともそのまま変化せず、世界は冬の暗闇にとどまるのであろうか? 季節は常に変化するが、このような祭典を行なう心理に潜在するおそれとは、秩序が戻らないのではないか、そして混乱と混沌が永遠に支配するのではないか、というものである。

グレゴリウス暦との関係
エイプリル・フールの日の起源についての最も流布している理論は16世紀末のグレゴリウス暦改革と絡んでいる。人口に膾炙しているが、この理論は多くの問題をはらんでいる。
この説はこういうものだ。古いユリウス暦では、新年は春分の日のある3月末(今の3月25日)に始まった。それから約1週間(今の4月1日まで)が春分祭/新年祭となっていた。最終日は、贈り物を交換するならわしがあった。
1582年、グレゴリウス8世は古いユリウス暦にかわって新暦(グレゴリウス暦)を公布した。新暦は月の順序を変更し、元日は今の1月1日に祝われるようになった。そこで、早速、フランスのシャルル9世はこの新しい暦法を採用し、新年を今の1月1日に始まるものとして改める。だが、それは完全に国民に行き届かなかった。

「旧正月」の名残を惜しむ人たちは、古い習慣を残した。「新年祭最終日」だった4月1日に贈り物を交換したりする人もいた。逆に、新暦採用者の中には、その「伝統主義者」たちに対して、何か間違ったことを信じ込ませるようないたずらをしようとした。デタラメな贈り物をしたり、新年の宴会のまねをしてふざけた人たちもいたという。
例えば、いたずらで、内緒のまま紙の魚を背中にひっつける。このいたずらの犠牲者は「ポワソン・ダヴリル(4月の魚)」と呼ばれた。それがヨーロッパ各国に広まって「エイプリル・フールの日」となった……というのである。
暦変更説は、なぜ4月1日でなければならなかったのかという理由をうまく説明しているかもしれない。しかし、無秩序と混乱を祝う春祭りの思想のほうがずっと、古代からの起源を有していることは明らかだ。さらに、この日の慣例がカトリックのフランスから、ドイツやスコットランド、イングランドといったプロテスタント諸国に広まった過程は、この理論では説明できていない。これらの国家では18世紀にようやく暦の変更を行なったが、そのときすでに、エイプリル・フールの伝統はすでにヨーロッパじゅうに確立していたのである。結局、この理論を支持する決定的な証拠(つまり、16世紀・17世紀に書かれた直接的記述)は、仮に存在したとしても明確なものではない。暦の変更と4月1日のつながりは、史料の研究ではなく、近代的な推測に基づいているように思われる。であるから、この説は可能性にとどまっており、事実として取り扱うべきではない。
カッコー狩りスコットランド人はブリテン人よりも以前に、熱狂的にエイプリル・フールを取り入れたようである。それは「カッコー狩り(hunting the gowk)」(gowkはカッコー鳥、馬鹿者を意味する)。「カッコー狩り」に送られる、というのは、愚者の使いに送られる(無駄足を踏まされる)ということであった。犠牲者は、「絶対に笑うな、絶対に微笑むな、もう1マイル、カッコーを狩れ」と書いたメモを配達するように頼まれるが、その中身は知らない。このメモを受け取った人は、かわいそうな犠牲者をどこか別のところに派遣し、町中をかけずり回らせるのである。

「愚行は4月1日の深夜に始めてよいが、正午までには終わらせなければならない」という厳格な習慣がすべての国にあった。この規則を守り損ねたいたずら者は、自分自身がエイプリル・フールになってしまったのである。
仏教的にいえば、エイプリル・フールは「妄語・綺語」の日であって、よろしくないということになるけれども、あまり堅苦しく「禁止」とかいっても受け入れられないだろうから、ここは「悪意のある嘘、人を傷つける嘘、他人に不快感を与えようとするネガティブな嘘はやめましょうね」ということで今日の話は締めくくっておこう。要は、その嘘をつくことで自分自身の心を汚すような自虐行為はやめようねー、ということです。同じ嘘でも、人を喜ばせるほうがいいですね。

10 件のコメント:

Mari さんのコメント...

これだけタイプするのに大変ですよね。
最後まで読ませていただきました。
読むのにも時間がかかるのに書くとなると時間がかなりいったでしょう

話は変わりますが、どんな嘘を今までついたことありますか?
私はですね~まあ~いろいろですね。
でも、根が正直者なので嘘は得意ではありません。

Hamel さんのコメント...

人間には、正直者でとても良い方が多いみたいです.......
以前、このブログで「クロースアップマジシャン」の話をしましたが、彼らも人間の盲点をついたメンタルトリックのほうに力を入れているみたいです。
たとえば「ボールを左手から右手に持ち替えて右手を握り締めてから{フッ}っと息を吹きかけると、あらま、不思議なことに右手のボールが消えてしまっている。。。」このマジックのトリックはmari様もよくご存知の通り、左手から右手に移し変えたと思わせて実はまだ左手にボールを持っています。でもボールを握った状態の手の形とは違うので、お客様は右手にボールが移動したと「錯覚」してしまうのです。
このようなマジックをするのに、マジシャンはどのような訓練をするかというと...

先ず何も手に持たずに力を抜いた状態の腕や体の筋肉の状態を記憶します(体で覚えます)それから今度は手にボールを握った状態の手や体の筋肉の状態を記憶します。

なぜ、このような「うそをつく訓練」をする必要があるかというと、人間は正直モノが多いので、左手にボールを隠し持つと、たいていの方は「ここに秘密のものを私は持っているし、それを私は隠そうとしている」ット言うことを人に体で伝えてしまうので、「ウソ」をつく訓練をするそうです。

「うそ」は色々とカテゴリーわけが出来るかとは思いますが.....

まぁ、大きく分けると二つ。
「自分」にたいして「ウソ」をつく。(適当な理屈をつけて納得してしまう等)
あとひとつは
自分以外の第三者に対しての「ウソ」。(それこそ詐欺のような犯罪行為から、思いやりから出たウソ)

考えようによっては、誰しもウソって相当の数をついて生きているのかも知れません...

Mari さんのコメント...

なるほど、凄いですね 勉強になりました。

私の場合はですね、嘘をついてないのに人に勝手に誤解されるところに問題があるのです。

ところで Hamelさんはお幾つなのでしょう
大変失礼な質問ですが、時に私よりも年上のような気もしてくるときがあるのです。
はじめは断然、年下と思っていましたが。。。

Hamel さんのコメント...

はじめは断然、年下と思っていましたが。。。
↑これからも、ず~とその調子でお願い致します(爆............

私の年齢はmari様よりかなり「↑」だと思われます。現時点でmari様の年齢が不詳なので正確には申し上げられませんが。

Mari さんのコメント...

Hamelさんの年齢も不詳なので、まったくもって不明ですが、好きなタレントやゲーム内容からして、これは明らかに私よりも年下ではないかと思います。それに私はかなりいってますよ~  そ~もうビックリするぐらいに、ですが精神が幼稚なんですよ。
しかしですね~会話してて、ふと!感じるのが私と同世代か、もしくは上のようにも感じる時が。。。

年は実際には関係ないことなんですが、たまに自分の年齢を他人におしえたくなる変な癖があるんですよね。私って変人?

Hamel さんのコメント...

>好きなタレントやゲーム内容からして、これは明らかに私よりも年下ではないかと思います。
↑そうなのですか?....私はこれだけでも年齢がバレテいると思ってましたよ。好きなタレントというのは、実際には現時点ではいません。ただ話題の種類を増やすためのカモフラージュです。ゲームも私の一番好きなゲームは「MYST」シリーズですが、このゲームのファン層は30歳代から50歳代がほとんどのようです。なんせ、初代MYSTはWindows3.1の頃のものですので....勿論例外的に20歳代の方もいらっしゃるでしょうが.....

>会話してて、ふと!感じるのが私と同世代か、もしくは上のようにも感じる時が。。。
↑このmari様の「女性としての勘」が当たっていると思われます。私のほうが断然「年上」なのです。残念ながら....(笑

>たまに自分の年齢を他人におしえたくなる変な癖があるんですよね。私って変人?
↑いえいえ、変人だんて...そんなことはないでしょう。「教えたい」のでしたら、「教えて」くださいませ。ぜひ!

Mari さんのコメント...

ますます謎めいてきてます。
と言うと30歳代から50歳代の範囲にあるということですね。
Windows3.1の頃ですか。
でも私から申しますと、まだNEW!です。
なんせ私のPC歴はWindowsが、まだ主流ではない画像すらネットに表示させるなんて無かった当時は高いMacからのスタートした時代でした。これを言うと年齢がバレバレですね。

あ~私のAge言っちゃおうかな~。。。
見た目と年齢に大きなGAPの女より

Hamel さんのコメント...

あ~私のAge言っちゃおうかな~。。。
見た目と年齢に大きなGAPの女より
↑言っちゃって下さい、言っちゃって下さい(笑.....
Windowsのバージョンの話は単にゲームの歴史にしか過ぎません。私の年齢とは全く関係ありませんので、あしからず....

Macからのスタートした時代でした。これを言うと年齢がバレバレですね
↑いいえ、全く解りません。ざっと15年ぐらい前のお話?でしょうか....仮にmari様が15年前にmacを始められたとして、その当時の年齢が12歳ぐらいだとしたら現在は単純計算で27歳ぐらいということになりますよね?

ですので全く検討つき申さん....(~_~)

Mari さんのコメント...

当時は高い"とコレがキーポイントです。
当時として、一般家庭で持つには高すぎるし、限られた企業のみがHPをチラホラとあったくらいです。HPなどは味気ないものでしたし、ネットの存在すらも知らない人達は今では考えられないほどでした。
ほんの一昔前のことですが、それを思うと短時間で凄い進歩ですよね。

話は戻りますが、一般人に普及してないものを12歳の子供に高価なものを買い与える親御さんはいたのでしょうか? ←コレがみそなんです。

当時私はこのマシーンを某企業で使ってました。
むろん入社したての新入社員でもありません。当時もいってました。

これ以上のことは秘密の扉で話がしたいです
^^
秘密の扉とか花園とかすきなんですー
じらしてごめんなさい~
興味の無いことでしたら、すみません、これで打ち止めにしますが、そうでなければ、ある告白をしたいのです。
それまで、よろしければ私の相手をしていただければ光栄ですが。

Hamel さんのコメント...

秘密の扉???
あっ、もしかして先日開店させた私の「アレ」ですか?
コクハク!、、、、私、あまりというかとても人生経験が乏しい人間なので、mari様のお役に立てるかどうか自信がありませんが。。。。

どうすればいいのかしら?
とりあえず、アチラの方に新しいコメントをつけときますので、どうぞご遠慮なくお使いくださいませ。