日曜日, 3月 06, 2005

地球の自転

地球の自転速度、公転速度はどれくらいなのでしょう?

 地球の赤道付近の自転速度は時速1,674kmです。新幹線の速度を時速約200kmとすれば、その8倍以上になります。
 公転速度は平均時速10万7,280km。飛行機の平均速度が時速1,000kmですから、それよりも自転の速度は速く、公転は比べものにならないほどの速さなのです。

  いくら地球に重力があるからといって、この猛スピードで動いている地球に私たちが平気で立っているとは信じられないことです。振り落とされても仕方ありません。

 しかし、地球が私たちを振り落とす力、遠心力は地球の重力に比べるとたった0.3%に過ぎません。それくらいに地球の重力は強いのです。

4 件のコメント:

Mari さんのコメント...

わ~とても勉強になります。
こういう分野には興味があるのですよ。

楽し読ませていただきました。

Hamel さんのコメント...

 地球は自ら回転(自転)し、また恒星(太陽)のまわりも回って(公転)しています。

 地球が回る、現在では、この当たり前の事実でも、普段の生活からでは気付くことが難しいものです。ですから、人類はこれを理解するまでに長い年月を必要としてきました。

 かつて、人類は地球が宇宙の中心にあり、太陽や月、星々が、地球の周りを回っていると考えていました。この考えを天動説といいます。天動説は2世紀頃の天文学者プトレマイオスの考えがもとになっています。

 天動説の発想は実に自然ですが星々の動きがあまりにも複雑でした。例えば、惑星の火星を観察すると、星空の恒星と同じ動きをせず、少しずつ位置を変えています。さらには他の星々とは反対の方向へ動く(逆行)こともあります。このおかしな動きの説明として、天動説では無理のある構造モデルが考えられました。

 14世紀頃、大航海時代の船乗りたちは天体によって船の位置を知るために、天文学の発展が求められるようになりました。天体観測技術の発展とともに、天動説では説明できないことが多くなってきました。16世紀になると、天文学者コペルニクスは、その星々の複雑な動きに疑問を持ち、一層自然に考えられるように、天を動かさずに地球の方を動かす地動説を唱えました。

 太陽を中心に、惑星はその周囲を回り、地球もそのうちの1つに過ぎないということです。この考えであれば、火星のような動きも無理なく説明できるのです。このコペルニクスが考えた地動説は「コペルニクス的転回」といわれています。

 さらに、17世紀に入ると、天体望遠鏡が発明され、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが木星を望遠鏡で観測し、4つの衛星が木星の周りを回っていることを発見しました。この4つの衛星はガリレオ衛星と呼ばれ、観測を続けると少しずつ位置を変えていることが分かりました。ガリレオは木星の回りに衛星が回っているように、太陽の周りを惑星が回っていてもおかしくないと考えました。また、火星は地球に遠い時に比べ近い時では約40倍も大きさが異なるということ、金星の満ち欠け等の発見により、地動説を確信しました。1632年には、表現に気をつけながらも、このことをまとめた「天文対話」を出版しました。 

 しかし、当時のイタリアでは、ローマ法王のもとキリスト教が盛んであったため、地球(人間世界)が宇宙の中心であることが絶対の真実であったため、地球が動いているという考えはタブーだったのです。実際に絶対的な人間世界を批判したジョルダーノ・ブルーノは異端の烙印を押され、1600年に火あぶりの刑に処せられたこともありました。結局、地動説を唱え続けたガリレオは当時の教会の教えに反するとされ、宗教裁判により、その説を放棄することを強要されてしまったのです。その時、ガリレオは「…それでも地球は動いている…」と呟いたと伝えられています。その後、自由を奪われ謹慎生活を送るガリレオは、5年後に目を痛め、ついに失明。光を無くした世界の中、最後まで解放されることなく、この世を去りました。弔辞を読むこと、碑を建てることも禁じられ、家族の墓に葬られることすら許されない、哀れな最後でした。
 
 ガリレオが世を去ってから約350年後、1992年、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、ガリレオの裁判に誤りがあったことを正式に認定しました。

 ガリレオがこの世を去った同じ年、まるでバトンを託されたかのように、イギリスに一人の科学者が誕生します。アイザック・ニュートンです。ニュートンは万有引力の法則を発見しました。有名なリンゴの木の逸話です。「リンゴが木から落ちるのは、地球に引っ張られているからであって、空に輝く月も同様に地球に引っ張られ落下しているのである。月が地球の周りを回ることができるのは、横に進みながら地球へ落下しているのでまるい軌道を描いている。もし、地球が月を引っ張る力がなかったとしたら、月はどこかへ飛んでいってしまう。同じように地球も太陽に引っ張られているので、太陽の周りを回ることができるのである」という理論です。1687年、ニュートンが45歳の時にこういった考え方をまとめた「自然哲学と数学的原理」、通称『プリンキピア』と呼ばれることになる著書は発表されました。このように全てのものには引き合う力があり、これを万有引力と呼びます。そして、この法則の発見は、惑星の運動に関する『ケプラーの法則』と共に、天動説によって支配されていた人類の宇宙観に、真実の光を当てることになりました。つまり地動説がようやく確固たるものとなったのです。

Mari さんのコメント...

ほ~凄いですね。最後まで読みましたよ
また何度でも読み返しに来るので、残しておいてね。

Hamel さんのコメント...

了解致しました。(魔王に誓って・・・(笑
どうぞ御納得の行くまで、ごゆるりと....